私はお盆には祖先への祈りと特攻隊員をはじめ日本国のために命を捧げた多くの英霊に手を合わせ感謝するのを慣わしとしている。
そのお盆が今年もやってきた。そして今年の8月15日は67年目の終戦記念日である。
毎年この時期になるとテレビ各局で色々な終戦記念ドラマが企画されるが、今年もNHKの「戦場の軍法会議」の如く日本軍を人道的な見地から批判的な番組はあっても
大東亜戦争で散華された幾多の英霊に対し感謝の念を持って追悼する企画は見当たらなかった。
この時期に私がいつも思い出すのはこの写真である。

飛行服姿の5人の若者が笑って写っているこの写真、中央の若者が子犬を抱いている。
昭和20年(1945年)5月26日に写されたと言われる写真で、この5人の若者は翌日早朝、特攻隊員として沖縄の空に出撃し散華された。
写っているのは、明日の死を覚悟しているとは思えない少年たちの笑顔・・・そして日本人の優しさと思いやりそのものを発露している童顔である。
写真中央で子犬を抱く少年飛行兵は、群馬県桐生市宮前出身の荒木幸雄陸軍伍長。
当時17歳と2ヶ月です。撮影場所は万世飛行場と言われている。
万世飛行場は陸軍の特攻基地として有名な知覧飛行場から西に約15Km離れた吹上浜に面した現在の加世田市にある特攻基地です。
終戦直前の昭和20年(1945年)3月から7月までの約4ヶ月間に、201 人の特攻隊員が万世飛行場から沖縄に向けて出撃し、散華された。
17歳の荒木伍長が宿舎から父親に宛てた最後のはがきが残っている。
陸軍伍長 荒木幸雄
最后の便り致します
其後御元気の事と思ひます
幸雄も栄ある任務をおび
本日(廿七日)出発致します。
必ず大戦果を挙げます
桜咲く九段で会う日を待って居ります
どうぞ御身体を大切に
弟達及隣組の皆様にも宜敷く さようなら
神風特攻隊で散った若者は沖縄戦だけで約2900機、4400人と言われている。
最初はゼロ戦や隼等の第1戦の戦闘機や爆撃機が使用されていたが、最終的には白菊隊で有名な速度の遅いパイロットでない通信等の搭乗員を教育する機上作業練習機や水上偵察機まで使用されるようになった。
この様な練習機に250Kg爆弾を搭載して九州から沖縄へ飛び立った。
硫黄島から沖縄戦に至る日本軍の文字通り決死、捨て身の防御で米軍を震撼させ神風特攻隊の決死の行動で連合軍が日本本土強襲上陸侵攻を断念する大きな要員となったのは戦史の事実です。
大津市の中学校いじめ自殺事件の加害者、加害者家族、校長、教育委員会等の完全に病んでいる日本人の人相と彼ら若き特攻隊員の人相は明らかに異なる。
それは自分だけ良ければ良い人の人相と大事なものを守るためには自分の命をも捧げられる人の人相の違いである。
我々日本人は少なくとも年に1度は、若き特攻隊員を始め大東亜戦争で散華された幾多の英霊に感謝し、日本人として凛とした誇りある日本の継承を決意をしなけければならない。
それが彼らに対する供養である。
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