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漫画「はだしのゲン」松江市教育委員会が閲覧制限の要請を撤回/日教組・マスコミの圧力に屈した事務局



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松江市教育委員会による漫画「はだしのゲン」の学校図書館における閲覧制限の要請が取りざたされていたが、26日松江市教育委員会は事務局が教育委員に諮らず要請したものであり閲覧制限の要請手続きに問題があったとして教育委員全員の一致でこの要請を撤回した。

要請を行った事務局は悔しい思いをしていると思うが、私は改めて日本の教育界に根付く日教組の危険な存在を危惧する。

今回の件で私が心底から驚いたことは
① 松江市の教育委員全員が撤回に賛成したことの不可解
② 本件が問題となった時点でのインターネットでの意識調査の数字 
 
  はだしのゲンの閲覧制限は妥当か?

  合計:151,234票 実施期間:2013年8月17日~2013年8月27日
  制限すべき ・・・・・・・・・・・ 22,727票 15.0%
  制限すべきでない ・・・・・・・・ 124,230票 82.1%
  分からない/どちらともいえない ・・ 4,277票 2.9%
   http://polls.dailynews.yahoo.co.jp/domestic/9851/result

まずもって私はこれらの数字に呆れる。

①の松江市の教育委員全員が撤回に賛成したことについて、松江市の教育委員には健全な思考の委員が一人もいないということであり、情けないというより大きな現実的問題である。

②のインターネットでの意識調査の数字について、この数字が公正な意識調査であるならば日本はもう終わりではないか。恐らく日教組や反日団体を総動員してアンケートに入力させたとしか思えない。

あるいは作為的な数字か?

日本人がこんなに愚かな人種であるはずはない。

この漫画は、私も昔読みかけたことがあるが途中で気分を害して読むのを止めた覚えがある。

この漫画には明らかに日本の自虐史観を刷り込む意図と思える異常な思想傾向が強く、事実が歪曲されている。

日本軍が妊婦の腹を切り裂いて中の赤ん坊を引っ張り出したり女性の性器の中に一升瓶がどれだけ入るか叩きこんで骨盤を砕いて殺したりしたなどと、まさに支那軍が通州事件などで日本人に行った支那特有の残虐行為蛮行を日本軍の蛮行だと描いている。
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旧日本軍の中にも戦場心理、怨念をもとにホンの一部に軍規を逸脱した行為があったであろう可能性は否定しない。

しかしこの漫画は旧日本軍が軍全体の方針として残虐行為を行ったかのように描かれている。

描写の内容は大人の私が見ても目を背ける内容であり、日本人の人間性ではない。

ちなみに、女性を殺害後、性器に棒などを突っ込んで辱めるという行為を日本人の文化ではない。
支那朝鮮に古来からある殺し方で通州事件はまさにこの漫画の描写そのものです。

つまり、日本兵がやったというのではなく、支那人等の持つ悪辣な文化をさも日本兵がやったように捏造した南京虐殺と同じです。

表現の自由、平和教育というスローガンのもとに行われるこのような自虐史観の刷り込み教育には怒りを覚える。

「はだしのゲン」には君が代に関するシーンも描かれており、主人公のゲンが「君が代なんか歌うもんか」「君が代なんか国歌じゃない」「君が代なんかだれが歌うもんかクソクラエじゃ」と描いている。

更にゲンは天皇制を否定し、「天皇陛下」とも呼ばず、「裕仁」「今上裕仁」と呼び捨てにし、又、「その数千万人の人間の命を平気でとることを許した天皇をわしゃ許さんわい」「いまだに戦争責任をとらずに ふんぞりかえっとる天皇を わしゃ許さんわいっ」 「最高の殺人者」「戦争狂」呼ばわりし、更に「貧相な面をした今上裕仁」と描いている。

このような反日漫画が何故学校図書館に教育資料としてあるのか! 

教育界は狂っている。

天皇陛下に対する暴言は、宮内庁が名誉棄損で提訴すべきである。

国旗、君が代に対する暴言も学習指導要綱に抵触するのは明らかである。

そして原爆の悲惨さを訴えるのは当然であり誰も批判する人はいない。
しかし、この漫画では原爆投下ですら日本の天皇制や軍部のせいにしている。


この「はだしのゲン」という漫画は、日本の未来を担う子供たちに「反天皇制」「侵略戦争史観」、「旧日本軍の残虐性」という誤った思想を刷り込むのは間違いなく、これは日本の未来にとって危険である。

何故、「はだしのゲン」という漫画が日教組によって全国の学校図書館に配布されたのかという原点に立ち返って問題を明らかにし、速やかに教育資料から排除すべきである。

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8月15日は「凛として愛」の心!


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上の写真は、知覧飛行場で陸軍特別攻撃隊振武隊の出撃を桜の小枝を振って見送る知覧高女の生徒たちです。

毅然と別れを告げる整備兵とは対照的に皆がうつむいて見送っています。
まともに特攻隊員の顔を見ることができなかったのでしょう。

皆涙を流しているのであろうことは想像に難くありません。

私の母親も当時、海軍鹿屋航空基地に奉仕隊として動員され、海軍の特攻隊員を何回も見送った話を良く聞かせてくれました。母親の話では八重桜や山桜の小枝や手作りの人形を操縦席一杯に飾って見送ったそうです。

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上の写真は昨年の8月15日のブログで詳細を書いた特攻隊員の出撃前の写真です。

中央の若者が子犬を抱いている飛行服姿の5人の若者が笑って写っています。

昭和20年(1945年)5月26日に写されたと言われる写真で、この5人の若者は翌日早朝、特攻隊員として沖縄の空に出撃し散華されました。

写っているのは、明日の死を覚悟しているとは思えない少年たちの笑顔・・・そして日本人の優しさと思いやりそのものを発露している童顔です。

写真中央で子犬を抱く少年飛行兵は、群馬県桐生市宮前出身の荒木幸雄陸軍伍長。

当時17歳と2ヶ月です。撮影場所は万世飛行場と言われています。


散る桜 残る桜も 散る桜 
散りて美し大和桜
君のため 何か惜しまん 若桜 散って甲斐ある 命なりせば

この様な言葉を辞世の句として残して飛び立った特攻隊員たちです。

如何に国の為、故郷の為、愛する人を守るためと覚悟を決めて飛び立ったとはいえ、最後に見下ろした日本の景色に何を想ったか、心中を察するに目頭が熱くなります。

そのような先人たちに想いを馳せる8月15日が今年もやってきます。

人間は二度死ぬという言葉があります。

1度目は肉体の生命を終える時であり、生ある生き物が避けては通れない宿命であり、

2度目はこの世の世界からすっかり忘れ去られた時だそうです。

人間の本当の死はこの2度目の死ではないかと思います。

8月15日は
古来より、数多くの国難に際し、武器を手に敢然と立ち向かい、その命を捧げて日本を護った特攻隊員をはじめとする多くの英霊に感謝を捧げる日ではないでしょうか。

と同時に、先人の想いを引き継ぎ、先人にあなた達が命をかけて守って下さった素晴らしい日本を私たちが守り、後世につなぎますという決意を新たにする日ではないでしょうか。

お盆の墓参りに墓石に刻まれた祖先の名前を一人ずつ再確認し、祖先に感謝するのも同じです。

今年の8月15日の終戦記念日には、テレビ局各社はどのような番組を企画するのでしょうか?

相変わらず、自虐史観を洗脳するような番組しか作れないのでしょうか

安倍自民党政権になり、戦後レジームからの脱却と叫ばれているが、これこそが自虐史観から脱却することにほかならない。

大東亜戦争において先人たちは日本本土への連合軍の上陸作戦を阻止するために絶対に降伏しないという強い意志を示すために太平洋の島々で玉砕し、20歳に満たない若者たちが体当たりの特攻攻撃を行いました。

今私たちが日本人として、戦いを好まない優しい人種として、この世に生きているのも先人たちが命を捧げて守って下さったお蔭です。

そのような先人たちを感謝を込めて供養する日が8月15日ではないでしょうか。

先日、私の尊敬する有名ブロガー「ねずきち」さんが、愛国女性のつどい「花時計」の3周年記念
「凛として愛」の上映会の様子をFace Bookでシェアしておられました。


下の動画がそうです。




下の動画は、YouTubeにUPされている「凛として愛」の映画です。
この映画は右翼思想ではありません。日本で起こった歴史の事実です。
ホンの70分の中で日本の正しい歴史が凝縮されています。

是非ご覧ください。


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テーマ : これでいいのか日本
ジャンル : 政治・経済

日本海軍の精神を引き継ぐ海上自衛隊(今も生きる日本海軍の教え10選その1「合戦準備」)



昨今、日本の歪められた歴史観と中国及び韓国の異常で執拗な歴史認識の強要に疑問が投げられ、公然と議論されるようになったのは誠に喜ばしい限りである。
このような日本の風潮と相まって、靖国神社の参拝者に多くの若者、特に女学生を最近良く見かけると思っているのは私だけであろうか。

戦後の占領政策により日本人に植え付けられた自虐史観はインターネットの普及により音を立てて崩れつつあるように思う。
これもインターネットの力がマスコミの力を凌駕しつつある結果なのか。
インターネットに習熟している若者達は膨大な情報の中から正しい情報を選別する能力を有しており、また戦後の自虐史観にも深く洗脳されてはいないため、真実の歴史を知ろうとする健全な自浄能力も有している。

問題は、50代以上の親や祖父母たちであろう。
私も62歳であるが、高校時代までは日本は侵略した、日本軍は酷いことをした。と思い込んでいた。いや、思い込まされていた。
私は、防大から海上自衛隊に入り、約40年にも及ぶ勤務の中で一朝有事に備え自分自身と部隊を真に強くする事だけを目標に生きてきた。そして、日本や世界の古代から現代の戦史についても勉強した。

私が初任3尉(少尉)であった昭和50年から52年頃の護衛艦の艦長や司令、司令官は旧海軍出身の方が多く、海軍兵学校の教育、海戦の実戦経験、海軍の伝統精神等を良く聞かされた。

海上自衛隊の護衛艦に勤務し、旧日本海軍の軍艦旗である旭日旗が海上自衛隊の自衛艦旗として使われていることも私の疑問でもあった。敗戦し武装解除された日本海軍の軍艦旗を戦後数年経過して再興した海上自衛隊が再び使用している。 
日本軍や日本人の精神力に恐怖した戦勝国が教育勅語や武士道に通じる武道を禁止した占領政策の流れの中で何故? このことは常に疑問であった。

海上自衛隊が創設されてから60年が経過したが、海上自衛隊は旧日本海軍の精神や教えをそのまま継承している。すなわち明治維新とともに誕生した日本海軍の精神をそのまま受け継いでいることとなる。

私は現役時代から部下隊員に「君たちは海上自衛隊で勤務すること自体が素晴らしい日本文化と日本精神の継承者である。現代の世情は本来の日本人の品格、人間性と乖離しつつあるが、日本人のDNAは変わっていない。あるべき日本人の姿を示し続けるのも我々に与えられた使命である。」と話していた。

明治維新により日本海軍が誕生してから約145年経過するが、海上自衛隊の教育や精神はまさに明治維新とともに誕生した大日本帝国海軍の精神や日本人本来の精神文化をそのまま継承していると言っても過言ではない。

民主党政権が終わり、時代の大きな節目になるであろうこの時期に、海上自衛隊が今でも大事に継承している旧日本海軍の教えは、和と勤勉を信条とする日本人社会の中で組織力、チーム力を発揮するための日本古来からの教えでもあり、海上自衛隊のみならず日本の民間企業にもそのまま適用できるものであり、海上自衛隊に今も残る日本海軍の教えについて、特に私の推奨する以下の中から10選として紹介することとしました。

① 合戦準備
  海上自衛隊の護衛艦は戦闘態勢への移行準備の号令として「合戦準備(かっせんじゅんび)」の号令を下令 しています。どうして今どき「合戦準備」なのかを紹介します。
② 5分前の精神
  5分前の精神は広く知られていますが、この5分前という概念がどのような経緯で誕生し、どのような教え として残っているのかを紹介します。
③ 出船の精神
  出船の精神とは何か、何故この精神を大事にしているのかを紹介します。
④ ヨーソロの精神
  ヨーソロとは何か? ヨーソロの起源と教えについて紹介します。
④ 五省
  海軍兵学校で始まり、海上自衛隊に今でも継承されている「五省」についてその意味と実践の現状について 紹介します。
⑤ 初級士官心得
  三等海尉(少尉)及び二等海尉(中尉)の若い初級士官が勤務遂行上の心得として今も実践する約20ヶ条の 初級士官の心得について紹介します。 
⑥ 青年士官は青天井
  青年士官は青天井という海軍から伝わり、海上自衛隊の若い士官が実践している教えについて紹介します。
⑦ 部下統率法
  人を動かす部下統率の極意として海上自衛隊に継承されている海軍の教えについて紹介します。

⑧ 士気高揚のための基本要素
  海上自衛隊が継承している海軍式士気高揚策について紹介します。

⑨ 男の修行
  階級、指揮命令系統が厳正な海軍における人生訓としての教えを紹介します。

⑩ 海軍士官である前に紳士たれ
  明治維新により誕生した日本海軍創設以来の教えである「海軍士官である前に紳士たれ」についてその起源 と教えについて紹介します。


1 その1「合戦準備」
  海上自衛隊の護衛艦は戦闘準備の作業を開始する号令として「合戦準備(かっせんじゅんび)」を今でも使っています。

護衛艦の一般公開等において、海上自衛隊の護衛艦は、戦闘準備の号令として旧海軍からの「合戦準備」を使っていますよと紹介すると10人中10人がコンピューター・ミサイル戦の時代に「合戦」ですかと一様に驚かれる。

私が、平成17年に海上自衛隊の全護衛艦と艦長の教育指導を担当する海上訓練指導隊群司令の配置にあった時、「合戦準備」は現代の戦闘様相に相応しくなく「戦闘準備」という用語に改めようという議論が起こった。

勿論、私は反対した。当時の海上自衛隊の教育界では「戦闘準備」の意見が多かったが
恐らく海幕の主要幹部の方も同様の意見だったであろうが、「合戦準備」は生き残り、未だ
にあの最先端のイージス艦でも「合戦準備」という号令が戦闘態勢につく準備号令として使われている。

昨今の北朝鮮の弾道ミサイル警戒に出動するイージス艦も、破壊措置命令がでれば「合戦準備」が艦内に流れ戦闘準備を整えることになる。

この「合戦準備」という号令がかかると、服装を正し、心を正し、身命を賭して国を守る決意と覚悟が生じたものである。
「・・合戦」「・・戦い」「・・役」「・・変」「・・紛争」「・・戦争」等々、戦いの形式によって使い分けられている。
ここではこれらの定義づけはやめるが、「・・合戦」と言えば、

両軍が向かい合い、合図で始まる戦(いくさ)であり、指揮官先頭の両軍の大将が馬で進み出て、「やあやあ、われこそは・・・国の・・でござる。」と名乗りをあげ、お互い大義を言い合い、あるいは相手をののしり合い、そして最後に「かかれ」の合図で戦(いくさ)が始まる。

また、敵の大将に要求されれば大将同士の一騎打ちもある。このように先手、後手、だまし討ちのない正々堂々とした戦(いくさ)が合戦である。

この観点から見ると、精神を統一したり、相手を威嚇したり、自分を鼓舞する「しきり」があり、「はっけよーい のこった」の合図で始まる相撲も合戦の型であると言える。
ではあるが、この夏の参院選で維新の会の橋下代表がしきりに選挙戦を「大戦(おおいくさ)」と言っておられたが「戦(いくさ)」という響きには「合戦準備」に通ずる親近感を覚えた。

海上自衛隊での勤務中、米海軍や多くの国の海軍軍人と友人になり、家族同士の付き合いでキャンプに行ったり、大酒を酌み交わしたりして分かったこともある。
どこの国の海軍士官でも、トラフャルガーからミッドウェー、フォークランドまで古代から現代までの海戦、戦史を深く勉強している。

その中で他国の海軍士官が褒め称えるのは日本海海戦やマレー沖海戦の日本海軍の見事な作戦と戦闘に勝利した後の破れた敵兵に対する姿勢、処遇、すなわち武士道精神である。

この「合戦準備」という号令には、お互い海を守るNavy Familyであるが、国の命運を賭けて正々堂々と戦おう。という武士道精神を呼び起こす不思議な力がある。

日本海軍が大東亜戦争における海戦で残した武士道精神は枚挙に暇はないが、特に破れた敵部隊、敵兵に対して示した武士道精神は誇れるものが多い。ここでは大東亜戦争開戦劈頭のマレー沖海戦の一例について紹介しよう。

時あたかも、この7月22日に英王室のウィリアム王子(31)とキャサリン妃(31)の間にジョージ王子が誕生し、世界中の祝福を受けたが、イギリスと日本の関係は深い。

生麦事件~薩英戦争~薩摩藩イギリスの技術の導入~明治維新~日清戦争~日英同盟~日露戦争~日英同盟破棄~大東亜戦争と日本の近代化にはイギリスが大きくかかわっている。

明治維新後、日本海軍の創設に大きく貢献したのもイギリス海軍であった。
日本海軍の海軍兵学校の教育理念等もアーチボルド・ルシアス・ダグラス少佐はじめ総勢34名からなるイギリス海軍の顧問団の指導で確立された。

そのイギリス海軍主力戦艦部隊との海戦がマレー沖海戦である。

マレー沖海戦は、大東亜戦争開戦の真珠湾攻撃の2日後の1941年12月10日にマレー半島東方沖で、日本海軍の航空部隊がイギリス東洋艦隊の主力戦艦2隻を撃破した海戦である。

マレー沖海戦は、日本がシンガポール上陸作戦を実施する上での海上補給路を確保するための海戦でした。

イギリス軍は、日本軍の行動を事前に察知し、開戦の6日前である12月2日に、イギリス最新鋭戦艦プリンス・オブ・ウェールズ、巡洋戦艦レパルス、その他駆逐艦4隻からなる艦隊をシンガポールのセレタ軍港に入港させました。

そしてイギリス東洋艦隊司令長官トーマス・フィリップス海軍大将は、日本軍マレー上陸部隊の船団攻撃のため、部隊を編成して12月8日17時過ぎにシンガポールを出航します。

対抗する日本の艦隊は金剛と榛名です。
両艦とも近代化の改装こそ受けていたものの、艦齢は27年を越えており、また兵装・装甲の厚さも元は巡洋艦程度の実力しかなかった。

プリンス・オブ・ウェールズは、14インチ(35.56cm)砲を10門装備、搭載するポムポム砲は、1分間に6000発の弾丸を発射するというすさまじい対空兵器、イギリスの艦艇は2年も前からヨーロッパ戦線でドイツ・イタリアの航空機に空襲され、これらを撃破しており対空戦の経験、能力は極めて高かった。

この大英帝国誇る不沈戦艦は、当時の国王ジョージ6世の兄王である、エドワード8世の即位前の王太子プリンス・オブ・ウェールズの称号を冠している最新鋭戦艦でもあった。

戦艦レパルスも、建造年月はウエールズより古いものの、装備はウエールズと同じで、それまで航空機による爆撃を完全に撃破してきている歴戦の強者であった。

圧倒的な英国海軍力を前に、日本軍が勝てる可能性は、限りなくゼロに近かった。

この艦隊を前に、日本軍はサイゴン(いまのホーチミン)にある航空基地から、航空機(九六式陸攻59機、一式陸攻26機、計85機)を発進させます。

各攻撃隊は東洋艦隊主力めがけて殺到した。

日本軍の被害は、陸上攻撃機未帰還3、帰投時の不時着大破1、偵察機未帰還2、その他30機以上が深刻な被害を受けた。

イギリスは、戦艦プリンス・オブ・ウェールズと、巡洋戦艦レパルスが沈没。

この戦いで、ウエールズ撃沈の報告を聞いた英国チャーチル首相は、「あの艦が!」と絶句し、「戦争全体で(その報告以外、)私に直接的な衝撃を与えたことはなかった」と著書の第二次世界大戦回顧録で語っています。

戦艦レパルズが沈み、次いで戦艦ウエールズが被弾し、沈没が避けられない状況下、ウエールズの艦長のトマス・フィリップス海軍大将は、日本の航空隊に向け、乗員を退艦させるので、30分時間をほしい、と打電します。

二隻の戦艦の乗員は同伴の駆逐艦等に救助されます。

この救助作業の間、日本海軍の攻撃隊は、いっさいの攻撃行動をせず、上空で待機します。

30分という時間は、もし、その間に敵戦闘部隊が急襲してきたら、日本の航空隊は、帰還するためのガソリンすらなく、全機、墜落のリスクを負っていた。
それでも攻撃隊隊長は、戦闘休止を決断し、空で待機した。

そして、ウエールズの乗員が全員退艦後、ひとりデッキに残ったトマス艦長に、日本の航空隊は、全機整列し、一機ずつデッキ前を通過。トマス艦長に最敬礼をし、健闘を称えます。トマス・フィリップス艦長も、これに対して最敬礼で答えます。

そしてトマス艦長は、デッキにわが身を縛りつけ、艦とともに沈みます。

更に、マレー沖海戦の翌日には、日本海軍機が、再度飛来し、機上から沈没現場の海面に花束を投下して英海軍将兵の敢闘に対し敬意を表し、慰霊を行っています。

このようなすばらしい日本海軍の武士道精神は海上自衛隊に脈々と受け継がれています。
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