海自US-2救難飛行艇クリューBZ(ブラボーズール)・見事なり! 荒天下の海難救助(辛坊治郎キャスター)
下の写真は小型ヨットで平洋横断中、浸水によりヨットを放棄し、救命ボートで漂流中海自の救難飛行艇US-2により救助され、厚木基地に帰還した辛坊氏と全盲のヨットマン岩本氏である。
2人は海上自衛隊の正式の作業用防寒衣を着けている。現役時代の約25年間の海上勤務において私も愛用した防寒衣であり非常に愛着を持っている。2人が海自の作用用防寒衣を着て心から安堵していると思ったのは私だけであろうか?
辛坊氏は記者会見において「気力はあるし、食料も水も1週間くらいは大丈夫という読みはあったが、体温が下がって明日までもつかという思いがありました。」と当時の状況を振り返り、
ボートのエンジン音が聞こえた時に、「“あ、帰れる”もうその一言で、こんな言い方がいいかどうか分かりませんけど、この国の国民であって良かったなと思いました。」と声をつまらせていた。
いずれにしても、辛坊氏、岩本氏ともに救助されて良かった。また何よりも着水条件を超える荒波の中、エンジン1発は波により使用できなくなったものの無事に遭難者を飛行艇内に収容し、離水できたことは飛行艇クリューの練度の高さと幸運が重なった結果であろうと思う。
経過を整理してみた。
・ 午前7時35分: 辛坊氏から携帯衛星電話で事務所に緊急連絡「右舷から浸水あり。船体放棄しかない」
・ 午前8時1分: 再び辛坊氏から「船体を放棄し救命ボートに乗り移った。2人は大丈夫」と連絡が入った。
・ 午前11時44分: 通報を受け現場に向かった海上保安庁の航空機が、ボートの2人を確認した。現場は宮城・金華山の南東約1200キロ付近。
・ 午後2時ごろ: 海上保安庁から要請を受けて派遣された海自救難飛行艇が現場着。約1時間上空にとどまったが、波が高いため着水できず、燃料切れで引き返した。
・ 午後6時15分ごろ: 海自があらためて派遣したUS-2が2人を無事救出した。現場は雨が降り、救助時の波の高さは3~4メートル、風速16~18メートルだった。
本当に今回の救助行動は絶賛に値し、見事なり/BZ(ブラボーズール)である。
荒天下の危険な救助活動は私も何回も経験したが一瞬の油断も許されない極めて危険な作業である。
風浪は息をしているかのごとく強くなったり弱くなったりするが、飛行艇クリュー及び飛行艇から発進した救難ゴムボートのクリューも自然のこの息づかいに溶け込み、自然に逆らわず任務を達成したものであろうと確信できる。
救難飛行艇US-2の前身はUS-1、その前はPS-1という対潜飛行艇であった。
対潜水艦戦のための重い機器や武器を搭載していたために事故も多かった。
対潜哨戒機 PS-1

救難飛行艇 US-1

事故により殉職された隊員も多い。私の親しい防大の同期生も約30年前に殉職した。
US-1の今回の活躍に初期の国産PS-1から訓練飛行や実行動で殉職された多くの先人、同僚の功績に思うところが多々あった1日であった。
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