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海上自衛隊と軍艦行進曲(軍艦マーチ)

行進曲「軍艦」いわゆる軍艦行進曲(軍艦マーチ)は、鹿児島県垂水市出身の瀬戸口藤吉翁が海軍軍楽師として明治30年頃に作曲した行進曲であり、旧日本海軍はもとより現在の海上自衛隊でも公式に演奏されている行進曲です。

海上自衛隊においては、「儀礼曲の統一について」という通達により、次の場合に軍艦行進曲を演奏することとなっています。
① 観閲式における観閲行進の場合
② 自衛艦旗授与式における乗組員乗艦の場合
③ 自衛艦命名式における進水の場合
④ その他必要と認められる場合

従って、
①の観閲式における観閲行進の場合ですが、3年に1度行われる朝霞での自衛隊観閲式は勿論のこと、海上自衛隊の観閲行進に際しては軍艦行進曲が演奏されます。

とても貴重な映像がYouTubeにありました。

2008年6月、ブラジルでの観閲式典において、海上自衛隊の練習艦隊がブラジルを訪問された日本の皇太子殿下御前での観閲行進という現在の日本国内では考えられない感動的なビデオです。

海上自衛隊は、江田島の幹部候補生学校を卒業した初任幹部(3等海尉)を約半年の遠洋航海を行い長期間の厳しい洋上訓練及び諸外国の公式訪問により、シーマンシップ、国際感覚を函養するとともに、諸外国海軍と相互理解を促進させています。

2008年度は、1908年(明治41年)に笠戸丸が神戸港から781名の第1回ブラジル移民を乗せてサントスに入港した日から100周年にあたり、ブラジルのサンパウロで日本移民100周年記念式典が行われ、海上自衛隊の練習艦隊が3隻で参加しています。

笠戸丸
         笠戸丸

ブラジル観閲行進
       海自練習艦隊観閲行進(於ブラジル)


日本移民100周年の2008年日本ブラジル交流年の名誉 総裁に就任されました皇太子殿下の御前での海自練習艦隊による軍艦行進曲の観閲行進は本当に感動します。ビデオは、練習艦隊のブラジルを公式訪問時の国家元首に対する礼砲21発発射のの状況も一部記録されていますので是非最初から見て下さい。







次に通達の②と③でお解りのように、海上自衛隊の自衛艦(護衛艦、潜水艦、輸送艦、掃海艦等自衛艦旗を掲揚する艦)が建造され、命名され進水する時と造船所から自衛隊に引き渡され自衛艦旗が授与され、自衛艦旗を先頭に全乗員が乗艦する際に演奏されます。

ひゅうが進水式 
護衛艦「ひゅうが」進水式  
 自衛艦旗
      自衛艦旗

つまり、自衛艦が誕生し、名前を与えられ海に浮かび、そして自衛艦旗を掲揚する時、つまり自衛艦にいわば命を吹き込む際に演奏される曲が軍艦行進曲(軍艦マーチ)です。

新鋭護衛艦「ひゅうが」の自衛艦旗授与式のビデオがYOUTUBEにありました。

軍艦行進曲による自衛艦旗を戴いた乗組員の乗艦行進は後段にでてきます。





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瀬戸口藤吉翁記念行進曲コンクール(軍艦行進曲/軍艦マーチ)

瀬戸口藤吉翁は、

瀬戸口藤吉海軍軍楽師
私のこよなく愛する故郷の鹿児島県垂水市出身の旧海軍軍楽師で明治30年頃に行進曲「軍艦」いわゆる軍艦行進曲(軍艦マーチ)を作曲した日本吹奏楽の創始者的存在です。

彼が作曲した軍艦マーチは、旧日本海軍はもとより現在の海上自衛隊でも公式に演奏され、また世界的にも評価の高い行進曲です。

瀬戸口藤吉翁の記念碑は垂水市本町の下宮神社にあります。
下宮神社
瀬戸口藤吉翁の碑
  

碑には次のように顕彰されている。

翁は1868年(明治元年)この地に生まれこの海を見て育ったものしずかな人であった
ひとすじの道として音楽を選び海軍軍楽隊に入る
1897年海洋と人間への感動を「軍艦マーチ」に託して世に戻った
南国的情熱の飛動する明朗なこの曲は当時の日本を象徴した民族の賛歌であり
たちまちにして全世界の憧憬の的となった翁は1941年74歳で逝ったが
この名曲と共に永久にわれわれの胸に生き続けるであろう

海上自衛隊の音楽隊は毎年、この碑を訪問し、慰霊の演奏を行っています。
慰霊演奏



また、垂水市は瀬戸口藤吉翁を顕彰し、あわせて行進曲の発展のため平成11年から瀬戸口藤吉翁記念行進曲コンクールを開催しています。

このコンクールは一風変わっており、演奏曲は2曲で瀬戸口藤吉翁作曲の行進曲の課題曲と自由曲の行進曲です。

小学校の部から一般の部までありますが課題曲は軍艦行進曲(軍艦マーチ)と愛国行進曲の演奏が多いようです。昨年は口蹄疫関連で直前に中止されましたが、今年は例年どおり6月に開催されるそうです。




私も過去に海自の護衛隊司令をしていた時に、護衛艦3隻を率いて行事を支援し、行進曲コンクールを見学したことがあります。
コンクール


海上自衛隊音楽隊の軍艦マーチの演奏には慣れていますが、小中学校のブラスバンドの演奏する軍艦マーチは、海自音楽隊の演奏より私の心にインパクトがあり、感動で身震いしたのを未だに忘れられません。

このコンクールでグランプリに輝いた女子が主体の中学校のブラスバンドによる軍艦マーチの演奏を見つけました。

ここをクリックしてお聴き下さい → 第7回グランプリ受賞団体演奏 
女性主体の中学生バンドの軍艦マーチは感動ものです。


最近の日本人は、軍艦マーチはパチンコ屋のテーマソングと思っている人が多いようです。

いつ頃からパチンコ屋のテーマソングとなったのでしょうか?

元海上自衛隊東京音楽隊長の谷村政次郎氏は、長年に亘り瀬戸口藤吉軍楽師の研究を行い、その集大成として「行進曲『軍艦』百年の航跡」大村書店、を2000年に出版されました。

彼の研究成果によると、戦後の占領下の東京目黒のパチンコ屋で朝の開店の際、わが者顔で闊歩する占領軍の兵士を見た店主が腹いせに軍艦マーチを流したら多くの日本人の客が店に入ってきたそうです。それ以来、パチンコ屋の毎朝の開店時のテーマソングになったそうです。

色んな意味で目から鱗の内容で興味のある方は一読をお薦めします。(アマゾンで調べたら古本がありました。)また、氏は垂水市の記念コンクールの審査員等としてコンクールを支援しておられました。

垂水市が市を挙げて取り組んでいる瀬戸口藤吉翁記念行進曲コンクールに是非一度足を運んでみられることをお勧めします。

        
CDの最後にある瀬戸口藤吉翁の講演録音「音楽と国民精神、音楽と戦争」はすばらしい内容です。




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薩摩の郷中教育

薩摩の「郷中教育」は、豊臣秀吉の朝鮮出兵時、出兵した武士の留守中、青少年の風紀が乱れたため、留守居役の家老たちが考案した青少年教育システムであると言われており、また英国で発祥した「ボーイスカウト」の原型ともいわれている。

私は昭和26年生まれで鹿児島県垂水市出身であるが、昭和30年代には、この郷中教育がそれぞれの地域に様々な形で残っていた。

垂水フェリーからの桜島
垂水フェリーから見た桜島(私の最も好きな景色)

新城小学校
故郷の新城小学校

呼称も地域によって、ごじゅう、ごじゅ、ごうちゅうと異なっていた。 私の故郷である垂水市新城においてもこの郷中(ごじゅ)教育は「馬追い」と「十五夜の綱引き」という行事を中核として遊び、スポーツの中に残っていた。

いずれも、地域の青少年のグループの年長者による年少者の教育システムであり、私が受けた郷中教育は中学2年生を頭(かしら)として幼稚園児まで含めたグループで、海遊び、山遊び、郷中グループ対抗の各種スポーツ、十五夜の綱引きのための茅、葛とり、そして綱の作成等のイベントがあった。

中でも印象的な遊びは、「降参言わせ」であり、2人で行う相撲やレスリングと言えば聞こえは良いが「喧嘩」である。これは2人でやらされる場合もあれば、グループ間で行う合戦(団体戦)もあった。

いずれも勝敗は相手が「降参」というか泣いたら終わりであり、人と喧嘩する場合の限度、あるいは大人の喧嘩のし方を実地に教える遊びであった。

ちなみに、江戸時代に存在した同様の教育システムとしては会津の「什教育」のみと言われている。

什の掟
          什の掟   

日新館
         会津日新館


郷中教育が今でも原型をとどめる形で残っているのは、出水の郷中教育ではないかと思う。

出水は肥後熊本と国を接する薩摩の表玄関にあたり、国境の守りとして古来から、武道に力を入れ、薩摩でも抜きん出た士気と兵力を有していた。

郷中教育にはそれぞれの郷中ごとに掟があり、出水の郷中の掟が「出水兵児修養掟」であり、中でも抜きん出たものとして、高い評価を得てきた。

『 出水兵児修養掟』
士は節義を嗜み申すべく候。節義の嗜みと申すものは、口に偽りを言はず、身に私を構へず、心直(すなお)にして作法乱れず、礼儀正しくして上に諂(へつ)らはず、下を侮(あな)どらず、人の患難を見捨てず、己が約諾を違ヘず、甲斐かいしく頼母しく、苟且(かりそめ)にも下様の賤しき物語り悪口など話(ことば)の端にも出さず、譬い(たとい)恥を知りて首刎ねらるゝとも、己が為すまじき事をせず、死すべき場を一足も引かず、其心鐵石の如く、又温和慈愛にして、物の哀れを知り人に情あるを以て節義の嗜みと申すもの也。

私の故郷の郷中教育も厳しい「しつけ教育」であったが、厳しいなかにも年少者に対しては優しさと愛情のある対応であったが、規律を乱す者に対しては、グループから排除する等の厳しい処罰があった。

昨今、現在の日本にはこのような郷中教育が必要との思いが強くなる定年憂国親父です。




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建国記念の日 / 紀元節に思う。

本日は2月11日(金)、建国記念の日です。

朝のテレビはどこの局も本日から3連休、関東地方にも雪との報道、毎朝読んでいる最も健全と思っている日経新聞の紙面にすら建国記念日に関する社説や意見も見られない。

昨日会社で20代から30代の社員数人に「建国記念日とは何の日?」「紀元節って知っている?」「皇紀って何?」と聞いてみた。

全て答えられた者はいなかった。

今朝のマスコミ、新聞を見ても建国記念日、紀元節に関する特集すらない。どうして避けるの?


私が質問した我が社の若き社員は、建国記念の日は日本の国が出来た日と答えました。

日本の国が出来た日とはどんな日?・・・誰も答えられませんでした。

正しい日本の歴史と文化を知りたい人に教えてあげました。

建国記念の日は、日本の初代天皇の神武天皇が即位された日です。

国民の休日である2月11日の建国記念の日は、昔は紀元節と言っていました。

節はまさに節目であり、日本には新年、紀元節、天長節、明治節という4大節の記念日があり、
紀元節が祝日になったのは1853年(明治5年)です。

戦後の昭和23年4月に施行された祝日法でGHQによって紀元節は日本が再び米国の脅威になる要因として廃止されました。

その後、昭和27年のサンフランシスコ講和条約が発効して日本の独立、主権が回復し、日本国内では建国記念の日の復活運動が起きます。

そして当時の政府が祝日に残したい日について世論調査をしています。

その結果は①正月 ②天皇誕生日 ③紀元節です。当時の健全な日本国民の精神が分かります。

当時の吉田茂首相は、日本の真の独立のためには紀元節の復活から着手すると表明し、国民の運動も大きくなり国会審議されますが反対勢力も多く何と9回も廃案になったそうです。

そして1966年(昭和41年)6月にやっと可決されて国民の祝日として復活しました。

日本人として意義あるこの建国記念の日/紀元節の日に、日本の良き伝統、文化、歴史を見つめ直したいものですね!



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横須賀線の混雑/すばらしい日本文化!


保土ヶ谷から品川まで横須賀線で通勤しているが昨年末に武蔵小杉駅が開設してから混雑は尋常でなくなった。

横須賀線は東海道線に比べれば多少時間はかかるが比較的すいており新聞の立ち読みもできることから通勤手段に選定した。しかし最近は新聞も読めない状況に変わってきた。

人には生活環境が急激に変わるとその変化を拒絶する本能とその変化に順応しようとする本能がある。

日本人はこの相反する本能を集団の和、思いやりや感謝、互助の精神で新たな習慣、環境としてしまう。
横須賀線の社内環境の急激な変化への対応を見て今更ながら日本人は何とすばらしい人種だろうと再認識する。


景気が悪化して久しく、また不甲斐ない政治が続き、日本人に元気がなくなったような風潮があるが果してそうであろうか。多くの日本人はじっと堪えて黙々と働いている。

日本企業の約95%を占める中小企業が先端の技術を磨き、島国日本の経済を支えてきた。

日本は今でも世界経済に影響を及ぼす経済大国であり、世界一の長寿国であり、最近は外国人による凶悪犯罪が増えたとはいえ、今でも世界一の治安を自慢できる国である。

地震で被害を受けようが、新燃岳が噴火しようが、口蹄疫が発生しようが、自然の摂理に起因する災難に対しては自然に対する敬いと自分の致命的な被害をも苦渋の心情を以てこれを受け入れる。

だからこそ助け合う互助の精神が生まれ、政治(お上)もその日本精神を守り育ててきた。自己保身と党利を追及する現在の政治家諸氏とは大きく異なる。

先日のサッカーアジア杯での日本チームのチーム一丸となった和と負けじ魂、プロフェッショナリズムは日本人のみならず世界中の人々に感動を与えた。

この様な日本の伝統と文化こそ現在の世界に求められている文化であろう。皇紀2671年、約2700年の歴史が築いた日本文化を決して失ってはならない。




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Author:tabigasadochu
定年憂国親父は海自現役時代、旅傘道中姿で老人ホームを慰問し歌と寸劇を披露していました。
定年憂国親父のライフワークであるフリーWEB塾「郷什塾」もよろしくお願いします。

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日本吹奏楽の元祖、瀬戸口藤吉翁の行進曲全集 特に最後の翁の講演録音「音楽と国民精神」「音楽と戦争」には感動します!
タッポーチョ 太平洋の奇跡
サイパン戦を経験した日米両軍人による合作ともいえる名著、    2011年の映画上映に合わせて復刻された玉砕の島サイパンであった 日本軍人の本質が見てとれる感動の戦史話
サイパン戦 大場大尉に関連した本
タッポーチョには劣るがサイパン戦に係わる書籍
大奥<男女逆転>豪華版
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