陸上自衛隊第1師団第1普通科連隊が首都直下地震を想定して都内各区に連絡要員の派出の受け入れを要請したがその対応はあまりにも腹立たしい.
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「迷彩服を区民に見せるな」 自衛隊の防災演習、東京の11の区が庁舎立ち入り拒否
2012.7.23 01:07 (1/4ページ)[自衛隊]

首都直下地震への対応訓練で東京・板橋区役所に入る陸上自衛隊員=16日午後
16日夜から17日午前にかけて行われた陸上自衛隊第1師団(東京都練馬区)の連絡要員の自衛隊員が23区に徒歩で出向き、被害状況や出動要請の有無などを確認する統合防災演習で、自衛隊側が23区に「隊員を区役所庁舎内に立ち入らせてほしい」と要請していたにもかかわらず、11区が拒否していたことが22日までの産経新聞の調べで分かった。区職員の立ち会いも要請していたが、7区の防災担当者は立ち会わなかった。要請を拒否した区には「区民に迷彩服を見せたくなかった」と明かした担当者もいた。(三枝玄太郎)
隊員の立ち入りを認めなかったのは、千代田▽中央▽港▽新宿▽目黒▽世田谷▽渋谷▽中野▽杉並▽豊島▽北の11区。大半は「自衛隊から要請がなかった」と断った理由を説明した。
防災担当職員が立ち会わなかったのは千代田▽中央▽港▽墨田▽世田谷▽渋谷▽中野の7区。各区とも「要請がなかった」と口をそろえる。千代田区の担当者は「いつ来て、いつ帰ったかは分からない」という。
しかし、自衛隊は口頭で23区に(1)庁舎内に立ち入らせ、通信訓練を行う朝まで待機させてほしい(2)庁舎の駐車場を使わせてほしい(3)防災担当の職員に立ち会ってほしい-の3項目を要請していた。
陸上自衛隊第1師団第1普通科連隊の石井一将連隊長は16日、記者団に対し、全面的な協力を得られたのは7区で、残りは「休日で人がいない。庁舎内の立ち入りを断られた区もあった」と明かした。
庁舎使用を認めた区担当者は「区民のためになる」「有意義だ」などと話していたが、3項目すべての要請を拒否したある区の担当者は「区民との接触を避けてほしい」「迷彩服姿を庁舎内で見せないでほしい」と申し入れたという。
16日午後7時。「市街地での災害訓練反対!」「基地へ戻れ」という反対派のシュプレヒコールと、「自衛隊頑張れ」という励ましが交差するなか、陸自第1師団の隊員は練馬駐屯地を2人1組で出発した。
最も遠い大田区に向かった隊員は17日午前3時50分、大田区役所に到着。大田区側は課長1人が対応したが、区庁舎内には入らなかった。2人を訓練終了後、練馬駐屯地まで乗せて帰る予定の自衛隊車両も、区庁舎から約300メートル離れた大田区消費者生活センターの駐車場で待機した。
通信訓練の際には自衛隊員は大田区庁舎の中に入り、防災担当部長は区庁舎内で隊員を休憩させるなどしたが、17日未明には立ち入らせなかった。
世田谷区には自衛隊員2人が16日午後10時~午後11時の間に到着したとみられる。世田谷区の防災担当職員が立ち会っていないため、到着時間は不明確だ。渋谷区、中野区なども(1)(2)(3)すべて実現しなかった。
江戸川区では約3キロ離れた公園の駐車場で、江東区に着いた隊員は木場公園に泊めた車両で夜を明かした。文京、品川区は庁舎の駐車場に止めた車中泊だった。
なぜ区側は夜通し歩いてきた自衛隊員に冷たい対応をしたのか。
例えば練馬区には市民団体が待ち構えて「市街地での災害訓練反対!」とシュプレヒコールを上げていた。「庁舎内に立ち入らせるところを見せるのはまずいという判断があった」とある区の職員は明かした。
こうした「外圧」は23区のうち12区が「自衛隊に区の施設を使わせるな」といった内容の申し入れを区議会会派や市民団体から文書で受けていたことを取材に認めた。
今月12日には練馬区が住民監査請求を受けた。申立人の弁護士は「自衛隊員に区役所の水、電気を使わせるのは自衛隊法などに照らして違法だ」と主張している。弁護士は「訓練前に23区に電話してどういった対応を取るのか確認した」とも話した。
自衛隊の担当者は「訓練実施が決まると、反対運動が激しくなり、拒否派の区が増えた」と説明する。
ある区の職員は「私自身は受け入れたかった。だが話が上に行くと、プレッシャーがきつくなった。共産党などが反対するし、正直辛かった」と話した。
もっとも自衛隊側に「根回しのまずさ」を指摘する声も複数の区の担当者からあった。「何度も内容が変わった」という担当者もいる。新宿区は16日深夜まで職員6人で待機したが、いつまでたっても来ないので練馬駐屯地に電話したら「帰りました」と言われ、面食らったという。「到着時に電話がほしかった」
訓練の意義はほとんどの区が認めた。
台東区の担当者は「実際に自衛隊に駐車場を使ってもらうことで、地下駐車場には自衛隊車両が入るスペースがないことが分かった。やってみないと分からない」と話した。
自衛隊員の庁舎内立ち入りを許可したのは、台東▽荒川▽板橋▽練馬▽足立▽葛飾の6区。庁舎内の会議室などで待機した。文京、品川区は庁舎駐車場で車中泊。墨田区では、区の本庁舎に入らず、墨田清掃工場で待機した。
石井連隊長の「協力してくれた」という7区は、以上の台東区など6区と墨田区を指すものとみられる。
17日朝は、千代田区を除いたすべての区で朝から通信訓練を行った。千代田区では、同じ建物にある総務省関東総合通信局の通信に障害が生じるとして行わなかった。
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以上が陸自の災害派遣訓練に対する東京都各区の対応の状況である。
3.11東日本大震災で日本国中であれほど自衛隊の活躍に感謝し、多くの感謝の本や写真集が出版され、自衛隊の本質や意義も日本国民に理解されてきたと多少安堵していた矢先の出来事である。
反日市民運動家や反日弁護士、マスコミの主要配置を占める反日左翼の力はこれほど強いのか危惧の念を強くした。
特に100人中100人全てがこの訓練は区民のためになるという重要性を認識している区役所の防災担当者が尻込みする反対勢力の不当な力の実体を明らかにしてこれを排除しなければ日本は本当にダメになる。
以下に示す書評は
日心会http://www.nippon-kokoro.com/のメールマガジンで入手した内容であるが、自衛隊OBとして自衛官の人間としての真の姿を現していると感じたので長くなるが参考に掲載する。
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書評:「自衛隊と東日本大震災」
陸軍予科士官学校61期 戸塚 新
本書の著者は防大26期、卒業して任官せず、毎日新聞社に入り、目下、社会部編集委員の職にある。
かつて同じ台上に学んだ同期生や先輩後輩が未曾有の国難にどう対処したか、それをこうした経歴の新聞記者がどのように見、感じたかに興味があり読んだ。
大震災と自衛隊について『偕行』は何度も取り上げた。
それを取り纏めた立場の者として、先に読後感を書いてしまう。
本書は偕行社の従前会員が読まれるに値する。
自衛隊が、日本軍の良き面を如何に伝承しているか、日本軍の悪しき面を払拭して如何に見事な軍隊を作り上げたかを如実に読み取れるからである。
日本の軍隊のあり方としては、これで我々は安心して冥土に行けると思える。
然しこの見事な国軍を掣肘し、貶め、侮辱している政治については、我々はこのまま眠れない。
余生の残される限り、自衛隊を国防軍として認めよと声を挙げ続けなければならない。
それを感じさせる本である。
地元多賀城の陸自第22普通科連隊の国友昭連隊長は、前年に宮城県との災害派遣協定を改訂、各中隊を担当地域に徒歩行進(行軍)させていた。
住民に戦闘服の集団に馴れて貰い、隊員に地形を覚えさせ、自治体の担当者に顔を売っておく作戦だった。
強い揺れを感じた連隊長は直ぐに久納雄二第6師団長に携帯電話を入れた。
ひと言「出します」「よし、出せ」それだけだったという(本書182頁)。
直ちに出動態勢の整った車輌列を津波が襲った光景は既報した。
発災後、直ちに行動したのはもちろん多賀城ばかりではなく全ての陸自が動いた。
海自は大震災発災後6分に史上初の「全稼働艦艇出港」という命令を出した。
動ける艦艇は全て何でもいいから三陸沖に向かえと命じたのである(84頁)。
修理でドックに入っていた艦も急遽出港し、訓練で海外にいた艦も反転してきた。
米海軍の幹部から「こんなに早く全艦艇を出せる能力は世界一だぜ」と言われた海自の幹部がいる。
これらのことはその時点で国民は知らない。
だが救命に尽力する陸自のヘリは、史上初めてNHKテレビニュースの画面に陸上自衛隊の文字を映し出させた。
そして世界が自衛隊の活動を認識したのは多分、原発へのヘリ放水である。
実はヘリの呼ばれる前に原発では既に自衛隊の奮闘が続いていた。
危機的状況にある原発を水で冷やさなくてはと、核・放射線兵器や生物・化学兵器に通暁した陸自中央特殊武器防護隊に「自衛隊さんしかやってくれる機関がない」と現地対策本部から要請があった。
14日朝、作業にかかろうとした時に3号機建屋が水素爆発を起こし、岩熊真司隊長以下が負傷している(18頁)。
岩熊隊長は治療後第一線に戻った。
しかし情報が不確実で然も混乱しており、要請による任務では責任を持てないので、陸自中央即応集団宮島俊信司令官が自衛隊の原発対処を担うことになった。
放射性物質の放出を停めなくては国際社会が許さないだろう。
アメリカは自国民の保護もあり苛立って、16日には駐日米国大使が、「今日中に大量の水を放水する必要がある」と迫ったという(28頁)。
16日のヘリによる上空の観測では、線量は毎時247ミリシーベルト、とてもやれる状況ではないが、菅の回想(毎日新聞)によると 「なんとかと言ったら、折木良一統幕長が『国民を守る責任を負っている立場ですからやります』と言て、折木統幕長と話した」
宮島司令官は金丸章彦第1ヘリコプター団長に電話し「明日は何があっても撒け」。条件は付けない単純明快な命令だった。
そして放水作戦の出動者の「選考はどうする」と聞いたところ金丸団長は「そのまま、いきます」と、つまり危険な任務だからといって、特に志願とか選考の必要はない。 ローティションのままで出すと答えた。
待ちかねたりと工兵の
誰か後れを取るべきや
与謝野寛作詞「爆弾三勇士の歌」
放水作戦の直後に菅はオバマ大統領と電話協議をした。オバマは言った。「テレビで見たよ。素晴らしい」(35頁)、この作戦が放映されて以後、東証株価の下落は止まった。
宮島司令官はこの時点から米軍が本気になり、全ての面で協力的になっていくのを感じたという。
放水の効果は十分ではなかったと伝えられるが、決死行で第1ヘリ団は国を救ったのである。
これだけの貢献をしながら、そのヘリが木更津に戻った時、駐屯地の幹部は丁度潮干狩りの時期の地元が、放射能を持ち帰ったのではと問題にしないかと心配したという。切ない話だ。
ともかくも水を入れるという対処を陸自ヘリが見せたために、自衛隊・消防・警察の各機関が方向を見出した。陸海空自衛隊の救難消防車が現地に集結し水を入れた。全国の消防隊も投入された。
これと東電の工事関係、警察の機動隊が入り乱れて混乱している。
ハイチから飛んで帰った田浦正人中央即応集団副司令官は、現地に貼り着いていて「これは不味い」と思い、現地対策本部長の松下経済産業副大臣に役所の垣根を越えた中央での調整が必要と告げた。
そのためかどうかは分からないが、翌日に原子力災害対策本部の海江田経済産業大臣と統合対策本部の細野首相補佐官の連名で、放水関連の実施要領は自衛隊が中心になり調整し、実施については自衛隊が一元管理することという指示書が届いた。
これまで地方公務員である警察・消防を、特別職国家公務員である自衛隊が指揮することなど、如何なる事態でもなかった。 緊急の、限定された局面でのことだが、田浦副司令官の一石は日本の危機管理に風穴を開けたのだ。
消防隊の特殊消防車が到着したが、瓦礫で容易に近づけない。作戦の立て直しをしていたところ海江田大臣が切れた。「早く始めろ」「処分するぞ」「もういい、消防は下がれ、自衛隊がやれ」。
これを聞いた現地指揮官の田浦は交代命令を即座に拒否した。
「大臣に言ってくれ。今から交代するのに3時間掛かる。その間に消防は水を出せる。
それから放水の本職に代われなどとは絶対に言えませんと言え」。
横の消防隊長が有り難うと田浦の手を握った。
田浦副司令官の隊員から聞き取ったメモがある。
被爆地域に突入する放水車に
「お前は独身で将来があるから残れ」
「独身だから私が行きます。班長に何かあったら、新婚の奥様に合わせる顔がありません」
「希望は募らないで、行けと言って下さい。行くに決まっているのですから」
「原発に行くと言ったら、妻は『ガン保険に入っとく?』と笑顔をつくり、横で8歳の息子が『お父さん、自衛隊かっこいい!』と飛び跳ねていた」
田浦副司令官には大きな仕事があった。
強い余震は続いており、最悪の事態が起きた時に原発敷地内で働く官民1千人をどうして避難させるか。
駒門から74戦車が2両呼んである。
非常の際は上に掴まらせて瓦礫の中も疾走できる。
霞目には担架を積めるように改装したCH47輸送ヘリを常時待機させた。
極めつきは96式装輪装甲車8両を手すりを付けて改装し、作業員にしがみついて貰って全速力で現場を離れられるように、近くで中央即応連隊が密かに訓練を繰り返していた。
田浦は第1原発の吉田所長に面会を求めて、いざとなれば先ず我々に情報をくれ、皆さんの退避は引き受けるからと告げた。
菅の指示に反して海水注水を続行した剛腹の吉田所長が、この時は「自衛隊は我々の待避まで考えていてくれるのですか。知りませんでした」と田浦の手を握って泣いたという。
此処は戸塚の感想だが、「軍の主たるところは戦闘にある」と結果的に居留民を見捨てた帝国陸軍とは発想が違う。
この田浦陸将補は今、前川原の陸自幹部候補生学校の校長である。
以下も戸塚の感想、イラクの番匠幸一郎隊長も後に幹部候補生学校校長に補された。
歴代陸自は素晴らしい人選をしている。
我々61期の予科士官学校長はあろうことかビルマから戻された牟田口廉也中将であった。
陸軍は将校生徒の精神教育を主とする予科士の校長を予備役代わりの閑職として適当と思ったのであろう。
幸い我々は校長の教育など全く受けていないが。
陸自全てが精鋭であろうが、特に精鋭中の精鋭と自他ともに許す習志野の第1空挺団は、どういうわけか、原発周辺の住民の避難誘導支援や、残っている住民を一戸一戸訪ねて家族構成や自力避難能力を聞き取り調査するなどの地味な慣れない作業に当たっていた。
全ての住民の生活状況を確認するなど、空挺の任務とおよそ関係ないようだが、山之上哲郎第1空挺団長は、将来離島防衛などで、住民が残っている中での任務遂行という局面があるかも知れない。非常に良い教訓を得た(161頁)と言っている。
ここにも帝国陸軍と違う発想を見る。
そうは言っても「空の神兵」の末裔としては力のやり場のない毎日に、火箱芳文陸幕長が視察に来た時、5代前の空挺団長であった陸幕長に隊員は「団長」と呼びかけた。
「何かに使って下さい」。
陸幕長はスピーカーで答えた。
「おー、お前ら、元気か。分かっている。お前らは、いざとなった時、原発に突入させるから。その時は俺もそこに行くからな」。
原発に最悪事態が起きた時に、「これに負けたら国は滅びる。だから何かあつたら」陸幕長は命知らずの空挺隊員を投入するため現地周辺においていた。
こうした「防大出」だから取れたのであろう突っ込んだ記事に満ちていて読み応えがある。
ご推薦する。
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災害派遣訓練における自衛隊員の受け入れを断った東京都の区の区長さん、区役所関係者の皆さん!あなたたちの区役所は何のためにあるのですか?
大規模震災に際してあなたたちの区は自衛隊員の災害派遣の展開を拒否するのですか?
命を賭けて日本国民を守る覚悟を有する自衛隊員に対してあまりにも情けない態度である。
関係者の猛省を促す!
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